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西に向かって歩いていると道端に廃材に混じって古い石造りの箱がありました。以前のゴミ捨て場でしょうか?

線路に並行して大同路を歩いていくと突き当りに中学校。こんな緑の多い環境なら気持ちよく勉強できそうです。

左折して民族路へ入ると沿道の民家の塀に石で作ったアヒル?鴨?が置かれていました。

線路を越えて反対側へ。電化で大きく変わった台東線ですが、ここは非電化時代のローカルな雰囲気を残しています。

線路の西側に街はなく、水田と若干の民家があるのみ。すぐ後ろには山が迫っています。

さて、こちら側には重要なスポットである旧玉里神社があります。

以前は知る人ぞ知る場所でしたが、近年案内看板なども設置されるようになりました。

一の鳥居。住宅に埋もれるように建っており、よく家を建てるときに撤去されなかったものです。

頭がなくなっている灯籠

こちらは倒れてしまっていますが、三州會奉納のもの。調べてみたところ三州會とは薩摩・大隅・日向出身の人で構成される同郷の会であったようです。

振り返り

二の鳥居

昭和11年の文字。文字が埋められているのは日本統治時代のものである証拠。

2007年の初回訪問ではこの先草木が生い茂り途中から進めない状態でしたが、2011年頃の再訪では整備が進み工事中ながら奥まで行けるようになりました。
そして3回目となる今回の訪問ではこのように綺麗に整備された状態になっています。

拝殿・本殿跡

瓦礫の中にあったこの紋は何を表しているのでしょうか?

神社を出てこの後乗るバスの始発である台北榮總玉里分院へ向かいます。その途中にも日本家屋が残っている場所がありました。