前回の記事で取り上げた大禹車站から更に瑞穗方面へ向けて進みます。この区間は直線化による線路の付替えがされており、廃線となった旧線を追いかけてみようという企画です。
地図の左下赤丸が旧大禹駅で右上終点が三民駅。実はGoogleマップは未だに旧線のままとなっており、地図上で辿るのは非常に容易。普通に鉄道経由の経路をしていすれば表示されます(逆に現行の新線は出せない)。今回は青丸の地点までをたどります。

まずは1つ目の緑丸地点に来ました。県道と交差するあたりで、ここで新線と旧線が分岐していたようです。奥に見える高架線が新線

丁度分岐点方面へ行く小道があったので入ってみます

すると奥の方、写真の丁度真ん中付近に少し盛り上がった場所があり、これはまさしく廃線跡

どうもこのあたりが分岐点のようです。奥が玉里方で、手前に向かって走ってきた線路はここで右の方へカーブしていました

石が敷かれているのが線路敷の跡

次はへ少し進んだところで車道と旧線が交差しているようなので行ってみます。2つ目の緑丸地点です

田んぼ脇の盛土が廃線跡

道路にうっすらと踏切跡の切れ目が入っています

旧踏切から瑞穗方。奥の方はすでに土地が転用されており通行できなくなっていました

県道へ引き返しさらに先へ。分岐する小道がまた線路と交差するようなので行ってみます。3つ目の緑丸地点です。
ここは踏切ではなく立体交差になっていて橋脚が見えています

橋脚を正面から

蔦で隠れてしまっていますが緊急時の連絡先として玉里駅の番号が書かれており、確かに鉄道遺構であることがわかります

そして一番気になっていた豐坪溪橋へ差し掛かりました。もちろん豐坪溪橋自体は通行できないので並行する太平橋から眺めます

望遠で見てみるとほぼそのまま残っているようです。線路までは見えませんが、これまでまったく見かけなかったので剥がされていると思います

このあたりの景色は本当にのどか

最後に太平部落の方へ入っていきます

ここも立体交差で橋脚が残っています。残念ながら橋の上が見られる場所に繋がる道はありませんでした

こちらはきれいに緊急連絡先の看板が読めます

この先は道路から離れてしまい、成果はなさそうですのでここで引き返しました